生命力強化法 1

強化法と言う言葉、使うこともすることも少なくなった。沖ヨガの創始者、沖正弘師の独特の生命力を鍛える訓練方法である。これがヨガかというほど過酷である。本来はヨガの訓練は修行僧の修行と同じくらい厳しいものであったらしい。しかし今の教室ヨガがリラックス中心になって本来のヨガから離れているような気もしないわけでもない。百年ちょっと前まで生きることだけが生活であった時代は毎日が強化法であったであろう。水を汲むことも食料を手に入れることも農作業も土木工事も強化法そのものだったのであろう。

現代では生活が快適になり余暇を楽しみ、より快適、快楽を求める時代である。その中でさえもストレスを感じ、心身の不調を訴えることがより多くなってきてリラクセーションを求め、癒しを求めている世の中である。ヨガも大いに貢献している。

教室では時々、軽い強化法をする。これは自分の中に眠っている生命力、人類が生き抜いてきた、どんな環境であっても生きてきた生命力のことを思い出すためにする。しかしきつくて強いのは生徒さんから不評を買うのでしない。又自分も生活の甘さの中にいて体力と気力の衰えを感じているのでとても本格的にはできない。ほとんど真似事だ。これでも十分に脳の刺激になっている。

強化法は沖師の学びに触れたことのある人はその訓練を思い出すだけで体は熱くなり交感神経が興奮するのを覚えるであろう。そのくらい強烈な印象をもった訓練法である。
ウサギ飛び、カエル飛び、蛇、わに歩き、側転、前方回転、二人組で押す引くという抵抗法、サーカスまがいの肩の上に人を立たせて歩いたり、外では3階建ての鉄骨の上を歩いたり、今では考えられないような訓練法が次から次へと出てくる。延々と2時間近く続く。

病人も断食者も学生も、女性も老人もできることを精一杯することを要求される。できなくてもいい。やろうとするこころ構えが必要である。心が動くと体が変わると言う考えである。さすが沖師の指導力で怪我、事故は一切皆無である。春休み、夏休みなれば200人ちかくが一斉にこれをする。毎日だ。そして心身ともにたくましくなっていく。本当のリラクセーションを身に付けて道場を後にする。今から30年位前の話しである。今はその道場も沖師もいない。その訓練法は形を変えて全国のヨガ教室で伝えられている。
そんな強化法のことを次回もう少し理屈を混ぜて書いてみようと思う。

以下はそんな生命力のことを書いてある文章に行き当たったので参考にしてほしい。

望猿鏡から見た世界 河合雅雄「子豚よ家を出て野を駈けよ」
豚もイノシシも同じ種である。つまり豚はイノシシを家畜化したものなのだ。しかし両者は大変異なった存在である。(一方は)荒々しく、生命力のおう盛さにおいては第一級のけものであり、(他方は)温和で怠惰なけものの代表のようなものである。
動物にとって一番重要なことは、自分の力で生きることである。イノシシは四六時中外敵を警戒し眠っていても心も身も緊張させている。鋭い牙は伊達についているのではない。なくてはならないものである。ところが、餌は山ほど与えられ外敵もいない豚は生きていくための努力はなにも必要としない。そこで豚は荒く硬い毛も牙も失ってしまったのである。
家畜化によって起こる変化の研究をしているドイツのヘレ教授によると、豚の脳は脳容量が小さくなり、後頭葉の委縮が甚だしく、溝が少なくなって単純化するなど、脳の構造が低質化するという。この話は、現在の子ども環境と発達という問題に、大変示唆的である。つまり、子供たちをとりまく環境はますます人工化し、小さな部屋に安全に閉じ込められて親の強い管理下におかれているという状況は、まさに子どもは飼育され家畜化が促進していることを示しているからである。ということは自分で生きる努力を減少させられた子どもたちは、危険に対する防衛反応の低下とともに、脳さえ低質化する可能性をはらんでいるおそれが十分あるということではないか。
子豚よ、ぬくぬくと安全な家を出て、野を駈けよ。牙を研ぎ足を鍛え、泥水も飲み山芋をかじれ!おまえの先祖、イノシシの血を呼び戻せ。

次は浅田次郎の「初等ヤクザの犯罪学教室」である。彼の文章は本当なのかフィクションなのかわからないところが面白い。
「犯罪者のとって命のやり取りは避けることのできない宿命といえます。。略。。
ただ一つ私が言えることは、生に対する執着の薄い人間は、数多くの事件(やま)を踏んでいく間に必ず命を落とします。
そして数々の死線を越えて金を残すなり一家をなすなりする人間は、頭のできや腕力の強さよりまず、生命力が旺盛で物事をあきらめない。しぶといのであります。これはなにも犯罪者に限らず、商売の世界でもサラリーマン社会でも同じことでしょうが、難局に当たったとき、「もうダメだ」と思えば人間はいとも簡単に死んでしまう。
一般社会では殺されぬまでも、落後して社会的に死んでしまう。
==ここからが好きな文章です。==
神様の作った最高傑作である我ら人間は、実に計りしれない力をもっているものでありまして、およそ終極的な人間の価値は、どこまで自分の生命力を信じられるかということにかかっているのであります。
さて、私の体験した殺人現場の実態はあらましこのような。。。。」引用終わり。

この著者の浅田次郎は鉄道員(ぽっぽや)の原作者である。高倉健主演の映画の中でぼろぼろと泣かせる、本当に泣かせる作家だ。純情可憐な文章の著者が元あの稼業とは、本当なのかフィクションなのかさすが。。。でも生命力の本質をついている。
(2002-07-04)

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