最近のレッスン


日々のヨガレッスンでテーマにしていることを紹介しています。
レッスンのなかで気づくこともあります。日課のなかで気づくこと、書物の中から参考にすること、新聞テレビなど情報はいっぱいあります。それらを取捨選択して教室のクラスの中で伝えています。
どうでもよいことかもしれない、小さいなことがらが自分の中ですごく大事なことがあります。 ちょっとしたことの積み重ねで今の自分があるのだな、と毎日をひとつひとつのレッスンを大切にしていきたいと思います。
    
今までのレッスン一覧はこちらです。120項目あります。

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2008-12-10 親鸞
2008-11-25 眼を楽にする方法
2008-10-6 笑いの行法
2008-9-15 不得意分野を広げよう
2008-9-2 拝みあいの世界
2008-8-28 動きを良くする
2008-3-25 バランスポーズの安定化
2008-2-14 足の運びを楽にする
2008-2-1 動きには無意識の世界がある
2008-1-31 型について
2007-12-25 肩立ちのポーズの作り方
2007-11-26 アサナの指導方法
2007-11-12 高齢者の下半身を緩める
2007-09-15 プラティヤハラの解釈
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2008-12-10 親鸞
ヨガを学ぶにあたって仏教というものを少しは知りたいと思い、以前に読んだことのある丹羽文雄著、親鸞を読みかえしました。
以下の生涯の話は小説を前提にしています。しかし小説、作り話かもしれませんが著者が親鸞を通して生きることの意味、宗教観を述べていること、そしてその中から煩悩の考え方を知ることはヨガを別の角度から学ぶことになるでしょう。

親鸞は自らの苦悩をとおして念仏という手法を使い、師である法然の教えを広めました。はじめから、宗派の開祖になるつもりはなく布教する喜びを通して生きることの苦しみ、欲望を持つ自分と戦ったのです。僧侶として公然と妻帯し、普通の人が歩む道を庶民とともに悩み、嘆き歩んだのです。
そしてそれは、弱い人間が生きていくために只、仏の力のみを信ぜよと言う他力本願を勧めているのです。自力にいたらしめるそのものが仏の力だといいます。ヨガの世界で言えば仏の力とは生命力のことでしょうか。命の働きに素直になれと言うのでしょう。
当時の仏教は鎮護国家が目的であり、支配階級のみでした。宇治の平等院は藤原家のものであり、極楽浄土を願う親鸞と同じ阿弥陀如来を本尊にしています。しかし源信や法然とともに民衆への仏教に急速にこの浄土の教えは広まっていきました。それだけ生きるのが苦しかったのでしょう。後にこの宗派は一向宗、門徒宗となって全国津々浦々に広まっていきました。
煩悩や悟りといった文がたくさん出てきます。引用の数字の4-42は4巻42ページを表します。

木は、自分によって燃え上がる火によって、自分全体が火になってしまう。悟りと煩悩の関係は木と火のたとえのようである。煩悩と離れられないからこそ、悟りは煩悩を燃やして智恵となるのである。煩悩は煩悩であることによって燃えて智恵となるのだ。煩悩、自分の中から得た智恵によってつくりかえられる。煩悩はみちびかれる。煩悩全体が変じて智恵となるのだ。智恵の母体は煩悩それ自身である。4-42
人間のもろもろの欲求を放れたところには、仏はないということだった。「生きている人間だけが、仏になれると言うことである。この身で、この世で成仏するほかには、悟りのひらきようがないのだ。」4-43

仏は光である、光は智恵であるという意味のことを、親鸞はあらゆる場合に口にした。光りはもののすがたをありのままに照らすものだ。あるがままのものを、ありのままに知るはたらきが、仏法で言うところの智恵であった。ことばを変えると仏にしたがうということは真理にしたがうということになる。仏のはたらきとは、ありのままな真理のちからであるということになる。それが釈迦以来の仏教の本流であり、基本的な考え方であった。親鸞もそうであった。


「煩悩は煩悩であることによって燃えて智恵となるのだ。煩悩、自分の中から得た智恵によってつくりかえられる。」煩悩はあってもいいのです。マンネリや不満があっても、そのことに気づき、そのまま二者両立を目指す心境を知恵といいました。煩悩を消して意気消沈するよりは激しい欲やエネルギーを社会のために使うこと、能力を発揮、高めることのほうがクリエイティブなのです。

「木像よりは画像、画像よりは名号」とつねに口にしていた親鸞であった。それなら親鸞の意に反して、宗派を確立しようとした覚如は不肖の曾孫ということになる。4-47
寺もいらぬ、経もいらぬ、ただ六字の名号があればよいのだと、九十年の生涯を通した。4-48
親鸞はいついかなる場合にも、浄土真宗なる新興の旗をたてたことはなかった。4-80
歎異抄をあらわした唯円は廻心ということを反省とか、懺悔とか自己批判という意味に解しているようであった。が、廻心は改心とはちがうのだ。煩悩具足の凡夫には、善心とか清浄心というようなものは、もともと持ち合わせていないのである。善悪のけじめさえのみこめていないのだ。改めようがないのである。親鸞は人間とはそういうものだと見きわめていた。その凡夫にできることは、改心ではなく廻心である。改めるのではなく、向け直すのである。凡夫のままで、仏の道をあゆむことであった。4-76

自分の内にみい出される他力のはからいによって、ためらわず、疑わず、自力いっぱい生きることこそ、とりもなおさず絶対他力の信心生活である。そのような生き方を不安がったり、疑ったりするのは、仏の智慧と慈悲を知らないところからくるものだ。4-84

根本の心理を悟って、それ以後はまったく煩悩疑惑がなくなることを意味するが、もしも廻心をそういうふうに解釈しているのなら、とんでもないまちがいだ。大悟徹底とはよく言われる言葉だ。しかし人間が生きていく上にはたしてそのようなことが可能か。悟った瞬間から人間がすっかり変わるものかどうか。私は今日まで、人間というものは決してそうしたものではないということを、くどいくらい、そなた(子の善鸞)に話してきたと思っている。廻心とは大悟徹底ではない。生活全体が廻心につらぬかれているということは、仏の誓願を信じるということの裏には、かぎりない反省と自己批判があってのことだ。大悟徹底したおかげで、以後は煩悩疑惑と一切縁が切れるというものではないからだ。4-89

二十九歳のとき、ひとたび廻心し、以後は死ぬときまで廻心生活を続けながら、親鸞は絶望と、悲歎と、懺悔をくりかえした。これは容易ならぬことであった。教法の真理性は、自己において自証されるものでなければならないのだが、親鸞は九十年の生涯にわたって絶望し、悲歎し懺悔することによってそれを自証した。教えというものは、たれのためのものではなく、よくよく自分ひとりのためのものであった。4-94
善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや
親鸞は「自然法爾」ジネンホウニを書いた。自然とはそのものとして自らそうなっていることをいい、法爾とは真理そのものにのっとって、そのごとくあることをいうのである。親鸞が自力のはらいを捨てて如来の手にすべてをまかせきることを自然法爾と説いたのは、その意味であり、弥陀という絶対の中に身を投ずることを意味した。4-370


親鸞ははじめから浄土真宗の開祖ではありません。そんなことどうでもよかったのです。名号、称号の南無阿弥陀仏だけを唱える生き方でした。寺も何もありませんでした。阿弥陀如来の慈悲を信仰し、全ての人が浄土へ往生して成仏するという絶対他力への信仰でした。
京で妻帯し、京を追放され、越後に流され、許された後は関東で布教活動を行い、そして晩年はまた京に戻っています。そのとき関東の門弟たちの信仰上の動揺を鎮めるために子の善鸞が派遣されましたが、親鸞と異なる教えを広めようとして善鸞を破門してしまいました。教えても教えても理解できない子に対する愛情があふれています。このことも親鸞を大いに苦しめることでした。仏教でいう四苦八苦の愛別離苦が襲うのでした。

善鸞にとって父の教えはあまりに奇怪であった。いままでだれもそんなことは言っていなかった。父の師の法然ですら、そんなふうに言っていなかった。即身成仏というのは、この肉体のままで仏になるというのだが、それは真言秘の教えの根本の意趣であった。そのためには、三密加持といって、手に印契を結び、口に真言を誦え意に本尊を観じて、大日如来の身口意の三業と行者の三業とを相応せしめる神秘な修行によって成就される悟りであった。また、六根清浄といって、眼耳鼻舌身意の六根、すなわちこの肉身が清浄無垢となって、無碍自在のはたらきをなす法は、一乗の妙典である法華経に説かれていることであった。それは四安楽行といって、身も心も安楽にみちびく身口意と誓願との四つの修行によって感得される功徳であった。真言の即身成仏も、法華の六根清浄も、いずれも難行の道であって、生まれつきすぐれた聖者によって漸く修することが出来、観念を凝らしてはじめて成就される悟りであった。悟りとはそういうものだと善鸞は思い込んでいた。4-46

善鸞の考えは現代にもよくある状況です。自力で行う座禅瞑想を独学で行うものほど、野弧禅という独りよがりの悟りに達するのです。自分は特別な存在であり、悟ったから人を導く権利ができたなど、という話はよく聞きます。親鸞のごとく死ぬまで自分の師は法然であるという下座心と感謝心が心の成長には欠かせません。禅や真言の世界でもここのところは長い歴史の中で組織として厳しく律しているとありました。

最後に私はいかなる宗派にも所属していません。ヨガには考え方がありますがそれは生命即神という考え方です。命の働きは親鸞の考えにも似ているところがあります。煩悩の肯定です。思い通りにならなくて良かったなぁ。具合悪くて良かったぁ。そこから努力し命の計らいに協力することを生活に求めるのです。生きるのに思い通りにならないからヨガの先生になったという人もたくさんいます。人に説き、自ら動き、自分を戒めるのです。
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2008-11-25 眼を楽にする方法
目を楽にする方法は以下に紹介しました。
http://www.mizunoyoga.com/gakuin/k-17.htm (目の効用)
http://www.mizunoyoga.com/gakuin/k-110.htm (眼の動きとからだ)
再度、目について登場です。目の疲れている人が教室にたくさんこられます。肩こり・腰痛・首が変に並んで目の疲れも大変です。ヨガの一連の動きを行なっているとウソのように楽なるのは体の回復力のおかげなのです。気持ちがリラックスし、体のつながりが良くなり、筋肉がやわらぐと目も本来の姿に戻るのです。

今の私たちの生活では不自然な体の使い方ばかりです。目もそうです。私たちは五感を通して生きています。見る、聞く、匂う、味わう、触れるです。上手に使えばこれらはリラックスを導いてくれます。間違うと緊張の連続です。その中でヒトは目が特に発達しているといいいます。生活するのに目に依存することが多いのです。他の動物は聴覚や嗅覚が発達しているがヒトはかなり鈍感だそうです。

本来、目の役割は当然見るためですが、今のような目の使い方を期待して発達したのではないそうです。目の使い方は他の動物と同じようにえさを探す、危ないものから身を守るという基本的な生存のために耳、鼻、目を総動員して生活をしていました。それで何万年も過ごして来たのです。それが最近になって見つめるという目の使い方になりましたから今の目の使い方は本来の目の使い方ではないのです。

眼球、目は固定してはいけません。目は動かしていなければならないのです。探すという使い方は目が動いているのです。本を読むのも活字を探す意味では目を酷使しないことなのです。本を読みすぎて目が悪くなるというのは又他の理由だと思います。目を動かないことが目の緊張につながり視力の悪化につながります。テレビもディスプレイも目は固定されたままです。このテレビのせいで目が悪くなった人は多いのです。目は疲れてくればまばたきをして緊張を和らげようとします。見にくいものは無意識にまばたきをするのですがそれが麻痺してしまっているのでしょう。疲れたらまばたきを意識的にしましょう。

また明るすぎる部屋も目に負担です。ヨーロッパから帰ってきた人に聞くと日本はどこでも明るいと言います。今はコンビニが一番明るいでしょうか。明るいということは交感神経が優位に働きます。やる気満々の神経ですから明るくないと商品は売れないのです。テレビも大型化されてきました。これを寝る前にじっと何時間も見つめていると不眠になるのは当然です。寝る前は照明を落としてリラックスタイムをつくるべきです。

私の師は眼が良くなる本、眼が良くなる体操という本を出版しました。この本を読んで道場に入門した人はたくさんいました。そして良くなった人もならなかった人もたくさんいました。その本の要約は筋肉を和らげる、体の歪みをとる、心を正しくしてリラックスする、目の緊張をとる体操を行なうというものでした。目にしても他の病いにしても薬や手術で直すのと違い、体と心の癖直し、生活の癖直しが大切になります。

目の体操の一例を紹介します。イラストはI.Aさんです。
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2008-10-6 笑いの行法
沖正弘導師のヨガ行法には生命力強化法として笑いの行法というのがあります。生活の中であらゆることを笑いで行うのだと説いています。笑っているときの自分の身体や心を観察すると、まず楽しい、今を生きている、前向きに笑っている、周りの人と共感したい、腹に力が入っている、呼吸が深い、顔にいい刺激である・・などなど。笑っている人を見るとやはり楽しい、安心だ、場が和む、陽気だ、かわいい、たのもしい 人柄が良く見えるなどたくさんの効能があります。

最近はラフターヨガといって笑うだけのヨガもあります。ラフターというのは笑う人という意味の造語だそうです。その講習会に参加した人に聞くとその講座は笑うだけのカリキュラムをたくさんの工夫で楽しい授業を行っているとのことです。パントマイムのように言葉を発しないでさまざまな表現をすると自然と教室に笑いがわき起こってくるといいます。

今では笑う健康法としてしっかり根付ききました。免疫を高める効能や血糖値が下がったり、ストレス解消、落ち込んだときの起死回生の妙薬ともいえます。右脳を活性化するともいいますし人生を変えたり、対人関係を良くする方法ともいいます。性格を明るくする、友人を増やす、仕事がうまくいく方法なのです。難しい理屈は不要です。ただ笑えばいいのです。全てがうまくいきます。

大切なことはセンスの問題ではないということです。腹筋やヨガポーズと同じくエクササイズのです。ただやればいいのです。ただ笑えばいいのです。その始めの音はハハハ、でもヒヒヒでもいいのです。笑いは連鎖するものですから必ず楽しくなってきます。しかめっ面でアハハ、でもイヒヒでもやってみると自然と笑顔に変わります。
次に大切なことは笑うフリでもで本物の笑いと同じ効果があるということです。笑うことで神経が変わり内分泌が変化するのです。

問題はどこでも笑うのかです。公衆の面前ではやめたほうがいいでしょう。ただ、人を驚かせるだけです。家族がいてひんしゅくを買うのならば車の中で笑うとか、河原で笑うとか、慣れてくれば声を出さないで笑うとか、ヨガ教室に来て笑うとか・・いや家族みんなで笑うと家内円満、まちがいなしです。

沖導師は悲しい時、苦しい時こそ、にやっと笑い、そこから大きな笑いを作るのだと笑いを強化法にされていました。笑いこそが不自然な文化生活から自然性を回復し人間らしい脳を発達させるものでした。その強化法はとてもハードでした。悲鳴を上げるような笑いです。「笑えっ!笑えんのかっ!ばかやろうー」と竹刀を持って追いかけます。笑うのが必死です。そのようにして覚えた強化法は大きな財産になりました。今はどこでもどんな状況でも笑うことができるようになりました。
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2008-9-15 得意分野を広げよう
当学院のカリキュラムは3カ月毎にテーマが繰り返し行われます。このテーマは検討時期になると、部分的に変更が行われるのは当然です。また繰り返されるといっても内容は変わるのも当然です。ヨガは変化、バランス、安定をモットーにしているのです。同じことを繰り返して飽きるというのは変化がないからです。命の働きは絶えず変化していいます。生命力が活発なときには子供でも大人でも絶えず興味が変化していきます。そして納得してまた次の変化を求めるのです。

しかし3ヶ月ごとにテーマが出てくると不得意なポーズも出てきます。いつまでもたってもできないと限界を感じます。きっとアプローチのせいかもしれません。練習量が少ないのかもしれません。毎週のテーマがあるといってもそればかりやるわけではありません。最低、それを行うという決まりです。不得意なポーズは、普段からそのテーマは無意識に遠ざけているのでしょう。

ヨガのポーズでいえばそりポーズ、前屈系、ねじり系、立ち系、バランス系と分けることや、部分的に首系、肩系、腰系、足系などと分けることがあります。ポーズに苦手意識を持つとその系にかかわるポーズ全部が不得手になります。学校時代にはよく理系、文系などと得意、不得意を分類していますが、これなど国語系が嫌いなら、英語も嫌い。化学が嫌いなら数学はもっと嫌いというふうに系全体が不得意になるのです。すなわち苦手は一つだけではない、かなりたくさんの分野を否定していくことになり、その人の能力はかなり低下せざるを得ません。
ヨガは生きること、生活を大切にします。生活は総合的に様々な分野を寄せ集めたものです。生活は生き方で、心の働きでもあります。心の働きが性格を作ります。短気だからいいというものではありません。人を差別することは不快なことです。酒癖が悪いのも困ったものです。人や社会に迷惑をかけるのは犯罪ですからここでは論外です。それぞれが自分の長所、短所を持って生きています。その短所が少しでも少なくなれば自分自身の可能性は広がると思います。短所を少なくして苦手意識をなくして、その苦手なことを喜んで楽しんでできるようにしようというのが可能性を広げる一つの方法です。

ある時に、嫌なことをする人なんていないと言われたことがありました。軽く考えるとそうです。快か不快かは無意識にいつもやっていることですから。無意識は考えることなしに癖でパッと行なってしまうのです。動物の行動がそうです。余り考えることはしません。まして不快なことを意識的には動物はしません。それなら私たち人間もそうなのかというと、違います。人は考える力、より良くする力を持っています。だから教育を受け、また体験をして勉強するのです。私たち人間は可能性を広げる力を持っています。

人の可能性を体系的に広げるシステムは修行です。修行に楽なものなんてあるはずがありません。自分を作り直しているのですから。そして不得意なことを好きなる練習をしていくと、いつのまにかそれを感じなくなり、楽になっていくのです。不得意から得意に変わるというのは大きな自信です。また次の不得意にチャレンジしていくことになります。不得手が範囲を狭くするのと反対に得手が範囲を広げるのです。私たちが生きていくということは可能性を広げていくことなのです。その可能性は絶えず変化し、バランスをとり、安定し、また変化する人生のシステムの中に私たちはいやおうなく置かれているのです。

仏教には人生は苦だ、という大前提があります。その苦の中に喜んで生きる、生き方を模索している中に菩薩や涅槃が待っていることを教えています。南妙法蓮華経、南無阿弥陀仏、ギャーテイギャーテイハーラギャテイなど喜んで不得意な分野を克服しようというマントラどおり私たちも嫌なポーズをあーでもないこーでもないとチャレンジしていきたいものです。
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2008-9-2 拝みあいの世界
宗教の話ではありません。ヨガの授業で抵抗法をしているときに思いつきました。相手に嫌なこと、抵抗、ブレーキをかけられると、それに向かってチャレンジし続けると思いもしなかった力が湧いてくる、ポーズも楽になるのです。このとき相手の抵抗は感謝の対象です。ノルマを作ってくれてありがとうです。自分に立ち向かうきっかけを作ってもらって感謝です。

ヨガはポーズを作ったり瞑想したり、リラックスだけではありません。生きていることの喜びを実感するものです。普段の授業では営業用の言葉が無意識にバンバン出てきます。無理しないで。リラックスだよ。気持ちよくね。ウソではないけど、自分をごまかしているような気がします。

本当のリラックス、本当の気持ちがいいは自分が喜べる生き方、自分の価値を高めることのできるときです。そしてチャレンジし続ける自分がいることはとても大切なことなのです。
世の中は四苦八苦ばかりです。求めても求めても得られない苦しみです。八方ふさがりばかりです。しかし悩み、考え、思いつき、また挫折を味わい、なおかつチャレンジするところに知らぬうちにタフな自分が作られてくるように思えます。問題意識が四六時中、頭に浮かんでいる状態、つきつめれば、何か解決方法が湧いてくるものです。

ノイローゼのような悩みとは違います。同じところを堂々めぐりしているのではなく、チャレンジがそこにあるのです。この場合はどうだ、いやだめだ、ならこうはどうだ、という風に。

単なるレットイッビーではないのです。何もしないであるがまま、受け入れるなんて逃げの口実です。考えて考えて行動してまた考えて、、そして受け入れる態度はとても大切です。問題点や抵抗が神様に見えてきます。

艱難汝を玉にするとか逆境はチャンス、不況こそチャレンジなどの言葉は人を磨いてくれる言葉です。 さぁ、あなたの、私の周りの人たちをどのくらい感謝の対象と見えるでしょうか。思いどおりにならない人こそ、あなたの守り神なのです。師は一番嫌いな奴と結婚しろと話していました。守り神になるには条件があります。それは自分が徹底的に変わっていくことです。相手には、なにも責任はありません。そのようなとき本当に仲の良い夫婦になれます。どうぞ幸あれ。
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2008-8-28 動きを良くする
動きを良くするためにいろいろな方法がありますが今回はリハビリやスポーツ関係で使われるPNFという手法を使って考えてみます。

動きを良くするということは肩こりや体の不快感も解消されるということであり、また柔軟性や筋力アップにもつながっています。特別にPNFという言葉を使わなくてもヨガでは当たり前のことが羅列されているに過ぎません。無理しないこと。バランスを大切にすること。意識的に行うこと。体全体を使って動きを行うことがポイントです。

まず無理しないということは悲鳴を上げないことです。悲鳴は体も心も防御体制に入っていきます。動きについては次の瞬間が大切なのに固定化されてしまい可能性がなくなってしまうのです。よって気持ちのいい積極的な動きが大切です。これは心の問題だけでなく筋肉という組織においても同じです。無理なストレッチは筋肉の悲鳴であり、ストレッチング反射という現象で硬くなります。反動で筋肉を伸ばさないことが大切です。

バランスとは伸筋と屈筋をいいます。私たちの体を動かすのに骨を屈する筋肉を屈筋といい、伸ばす筋肉を伸筋といいます。骨を屈するときは屈筋は収縮緊張しますが、反対の拮抗筋、伸筋は弛緩しなくてはなりません。このバランスが悪くなるとこわばる、体が重い、不快ということになります。たとえば同じ姿勢でいると体が強張(こわば)るということがあるし、寝起きもまた動きがスムーズではありません。軽やかな動きをしているときはバランスよく調和を保っています。スポーツの前後のストレッチもその目的です。
その伸びる、締めるという状態を意識することがいっそう、バランスをとる効果をあげることにもなります。体幹部をねじるという動作にしても片方の胸半分が伸び、その反対の胸は縮み、また背中も同側が縮み反対が伸びるという意識はあってもよいと思います。同時につながる感じは錐体外路系の神経組織が体の動きの調和保つことによりよりよい動きを作り出すことになります。これも無意識でなされる動きですがイメージという補助動作で効果は大きくなるのです。ねじりであればねじっている部分が上下に伸びるという感覚です。

施術方法や運動効果を上げる方法として補助者を使う方法がたくさんあります。補助者のテクニックで良し悪しが大きく現れるのはしかたがありません。だからこそヨガ指導者にはたくさんの経験を積んでほしいのです。

筋肉のバランスを取る方法は抵抗法というヨガではオーソドックスな手法ですがこれもやはり熟練度が必要です。上手な人と下手な人では効果がかなり違いますが、何ごとも練習です。補助者のテクニックは力の入れ加減だけでなく言葉の誘導も大切な要因になります。軽い抵抗法ですがこの強弱で動作を行う者は筋肉の強弱を作り出すのでとても大切な役割をするのです。

動作者は自分で力を入れて主動筋を伸ばす行動をアクティブ(ストレッチ)といいます。そして補助者に動かされて元に戻す動きをパッシブ(ストレッチ)といいます。この二つの動作と筋収縮の状態、動きが少ない動き(アイソメトリック・コントラクション)、多い動き(アイソキネティック・コントラクション)を混ぜながら筋肉を弛緩、収縮の状態を多様に操作するのです。

手元の資料(名称不詳)にスローリバサル・ホールド・リラックスという方法がありますので紹介します。
最後に痛いことをしたらかえって筋肉が縮むという図式がありますので参考にしてください。筋紡錘に刺激が行かないようにそっと筋肉を伸ばします。
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2008-3-25 バランスポーズの安定化
立ちポーズにはダンスのポーズのほか、立ち木のポーズ(ブルクッシャアサナ)や英雄3のポーズまた半月のポーズなどがあります。これらのポーズで難しいのはバランスを取ることです。

バランスが悪くなる原因として、年齢が高くなってくる、また耳が聞こえなくなる、そして目の焦点が合わなくなることが原因と考えられます。このような傾向の人は初めからあきらめないで工夫をしながらチャレンジしてほしいです。体は適応能力が高いですから、徐々にであるけれどバランスが良くなるのです。

私どもの教室は1センチくらいのマットが敷き詰めてあります。立ちポーズ以外は非常に快適ですが、バランスポーズのときは大変苦労します。しかしこのような条件でもバランスのいい人はたくさんいますし、年配の人でも徐々に安定してきます。

バランスを良くする条件は次の通りです。床が安定していること、腹に力が入ること、視線の安定が得やすいこと、首の力が抜けていることなどが上げられます。

ここではダンスのポーズで腹に力が入ることをテーマにします。 お腹に力を入れるといってもぎゅっと腹筋に力を入れることではありません。腹とは丹田力のことを言います。足の親指の力や足指を拡げてつかむ力、膝を締める力、尻を締める力、のどを絞めてうなじを伸ばす力、肘を締める力など総合力が大切になります。
ダンスのポーズは普通は軸足と反対側の足首を同側の手で持って足を後ろ上に上げていくポーズです。足をしっかり床に押し付けます。上半身に力が入りやすいときにはバランスが崩れるし、体が軸足を中心にねじれていくこともあります。
このような時、同側の手で足首を逆手、内側から足首を持つと脇が締まるせいか、かなり安定します。立ち木のポーズも足の甲を反対側の腿前面にしっかり強く押し付けたり、または足裏を内腿に押し付けたりして腹に力を入れるとバランスが取り易くなります。
下(した)を実(じつ)にして上(うえ)を虚(きょ)の状態にするのです。上虚下実(じょうきょかじつ)といいます。このことは半月のポーズをとるときも同じです。このポーズの完成形を作るとき足で支えるべきで手で体を支えると、足を軸にして回転してしまい。正面の壁や鏡に平行にならなく、斜めになってしまいす。手は軽くバランス点を探るだけでいいのです。そして反対の手は尻に当てたり、手を上に伸ばしたりします。顔の向きはとても大切です。しっかりとうなじを伸ばして天井のほうを見ることです。
老化防止のためにも少しづつでいいので、何か手で支えるものが近くにあって危なくないように行ってほしいです。私たちが生活するということはバランス力が無意識でありますが必要なことばかりです。これらのバランスポーズは姿勢を整えたり、足の不調を整えるに最適であります。思いもかけず肩こりが治ったという人もいます。体は全部つながっています。ヨガのポーズではあまり効果効能ばかり気にしないで、いろいろなポーズにチャレンジすることが大切だと思います。
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2008-2-14 足の運びを楽にする
ヨガの教室には腰痛の人がたくさんおられます。肩こり、腰痛、膝痛は互いに関 連しあっています。ほとんど姿勢の問題だと思うのですが、本当に心配な方は医療機関 で受診されたほうがいいとアドバイスしています。
本日のテーマは太陽礼拝体操です。今は昔の沖先生は合掌礼拝体操といっておら れたし、今風(いまふう)ではスーリヤナマスカーラ。パワーヨガの一部でもこ の類があります。あれもこれも紹介したくなるのが性分なのでシバナンダアシュ ラム系やジャンピングが入っている流れポーズを三種類行いました。普段はのん びりとしたレッスンですがけっこうきつく生徒さんは目で「もういい」と言って います。
太陽礼拝体操は立ちポーズが主なので終わったあとにちょっとしたマッサージを 行いました。
仰向きになって骨盤の両側のお皿のふちから内壁に沿ってマッサー ジです。内臓には手を触れないことです。膝を立てているので柔らかくて気持ちもいいところです。しかし 腰痛のある人はいつも力を入れているので硬くて痛いと言います。くすぐったい 人もいます。無理はしないことです。

次にうつ伏せで片膝を脇のほうへ折って顔もそちらのほうへ向けます。そして骨 盤とアバラの隙間に親指を背骨の下の方向へ差し込んで、持続圧です。これも無 理に力を入れないで、入りにくかったら膝を左右にスライドすると柔らかくなる ところがあるはずです。反対も同じように行います。これも痛い、コソバイと訴 えたら単に腰を上からマッサージするだけにチェンジします。なにがなんでもや るというのは危険です。

さあ、立ち上がって足踏みをしましょう。軽いと皆さん言ってくれます。腰が楽 になったとも。
ここで解剖のお勉強をしましょう。体を支えたり足を動かしたりするのは体の深 いところにある筋肉です。大腿骨の小転子から太い筋肉(大腰筋・腸骨筋)が腸 骨内壁と腰椎に着いています。又腸骨上部から肋骨に腰方形筋が着いています。 これらの筋を手で触れようとする試みです。30秒くらいやさしく触れると緩んで くれます。ときには膝を動かしてやればこの筋肉が伸びたり縮んだりしてリラック スするのです。リラックスした筋肉は緊張した筋肉に比べてパワーが増して足の 動きが軽やかになるのです。(マシンによるレッグエクステンションの負荷はこ この筋肉です。)

ちなみに大腰筋を調べたら以下のようになっていました。
ヒレ-牛や豚など食用家畜の大腰筋のことである。骨盤の内側にあって大腿骨と脊 椎骨を結ぶ1対の棒状で結合組織が少ない筋肉であり、非常に柔らかい赤身肉であ る。一頭の家畜から採れる量がわずかな、最高級の部位とされる。
ヒレの語源は、フランス語のフィレ(filet)に由来する。(Wikipedia)
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2008-2-1 動きには無意識の世界がある
先日、札幌では大雪が降りました。普段は氷になっているような道路でも転んだことが無いのに、この大雪では油断したのか突っかかるように前のめりで転びました。そのときある知人のヨガクラスで講義を受けたことを思い出しました。それは転びそうになるのを踏ん張ると体にはバランスが取れて安定性が良くなるというのです。これは錐体外路系という神経作用だそうです。

人の動きの神経系には随意運動を司る錐体路系とそれ以外の錐体外路系があるそうです。 脳疾患などで脳の運動野と効果器(手足)は左右逆に障害が現われというがその神経回路を錐体路といい、その動きを協力する、連動して動くための数多くの神経の回路(小脳を含む)を錐体外路と考えて良いと思います。

ヨガでは連動性を大切に考えているのでこの錐体外路の働きいかんで体の動きが良くなったり悪くなったりするのです。早速、教室でチェックしてみました。今週のテーマはハーフムーンという立ちポーズです。上虚下実を必要とするポーズです。ただ柔らかければいいというのでありません。始めにターダアサナで腕を上に挙げ安定したところで後ろからパートナーに腰周りを強く押してもらいます。安定力がないと前のめりになってふらつきます。

次にハーフムーンのポーズを作ります。しっかりと柔らかく、そして強くポーズを作り、そして戻します。同じように後ろから押します。かなり安定しているはずです。この安定が無ければポーズを作った意味がありません。次に少しこっけいな動きですが、雪道で滑りにそうなって立て直した状況を行ってみます。おっとっとーと笑いの渦が沸きますがまずはやってみることです。そして同じように手を上に挙げてターダアサナで後ろから押されてみたらいかがでしょう。かなり安定しているはずです。転びそうになったときに体の各部分は自然と安定力が出るような体の体制になったのです。無意識にそのような体制になったのです。体の巧妙な働きの一つです。アサナを単なる柔軟体操ではないということもわかっていただけたと思います。体の統一性を養うことこそアサナの目的です。

原理はこれと異なりますが元に戻るという働きの一つに風邪の巧妙というのがあります。けっして偶然を意味する怪我の功名というのとちがいます。風邪を引いて上手に直すと今までの不定愁訴までが直ってしまうというものです。同じような講演を聴いたことがあります。ガンの患者学研究所の講演を聴いたとき「治ったさん」の表彰式がありました。それはガンが本当に治るときはガンが治っただけでなく、今までの生活習慣病も一緒に治ってしまうそうです。そういう人に「治ったさん」として表彰するそうです。

そのように考えるとよく転ぶというのは体の安定が悪いのであり、転びそうになるというのは転ばないための自然回復力の一つなのです。だんだんと安定性が高まって来るのです。考えを広げて病気や不幸というものをこのように考えると症状や悩みは回復するため心身のバランス維持能力のひとつなのです。この体、この心は本当に不思議な存在です。
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2008-1-31 型について
教室での指導のとき、「お願いします」と言って始まりますがこのとき私はいくつかのパターンを持っています。出来るだけ同じパターンにしようと思っているのですが、飽きるときがあります。ヨガは変化だというのが耳に届くのです。変えなければと思いながら変えられないままになっていました。そしてあることに気がつきました。音楽でも練習曲があり、スポーツにも練習パターンがあります。武道にいたっては型にはまったように同じ練習です。

この動きを変えないで型にはめるというのはどういうことかと考えました。それは心構えの一つ であることそして繰り返すことで動きの質を高めることだとわかりました。心構えとは今から行 うことを深く理解しようとする行為です。無意識にしていますが日常の挨拶がいい例です。「い ただきます」「ごちそうさま」がそうです。その意味は感謝心と下座心です。先日テレビで動物 園のえさを与える様子が映し出されていました。えさが出されると猿や鹿たちは群れをなし、む さぼるように食べていました。最近、挨拶を出来ない子供、大人もこんなものでしょうか。

また繰り返すことで今まで気がつかなかったことに気がつきます。「門前の小僧習わぬ経を読む 」です。要領をつかむというのは繰り返しの功徳です。これには力が入っているときには感受性 が鈍くなっては気づきがありません。緩んでいるときにひらめくのです。軽くて楽な動きが良い 動きといつも言っています。そんなとき新しい動きがひらめくことがあります。そんなときは自 分しかわからない大きな進歩が生まれるのです。言葉にならないものもあります。

型をはめた動きをすることで今からヨガを始めることを体に言い聞かせ、気持ちを整え、集中力 を高めていくのです。そしてこれから始まる60分や120分の練習時間の心身の質をどんどん高め るのです。普段教室などで行うヨガのポーズはそれほど多くはありません。しかし毎回行うポー ズの質は毎回異なります。そのときの質に応じてアプローチは変わっていくのです。
ヨガの指導がいやになるときがあります。それは集中しなくなった、力づくで動きを作るようになった 、思いつきでヨガをしているなどのときにそんな気持ちになります。ヨガの一つ一つのポーズは 決して柔軟体操やアクロバティックポーズではありません。命が言葉を超えた存在であるように その命を支える動きがヨガポーズだと思っています。合掌から始めて合掌で終わる一連の流れが 型であって、意識や感受性は型からはずれることを要求される時間であるのです。
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2007-12-25 肩立ちのポーズの作り方
このポーズは母なるポーズといわれるくらい大切でまた愛用にされている方が多くいます。背筋を伸ばしてまっすぐに足のくるぶし、股関節、肩関節が床に垂直になるポーズです。首のうなじと肩と後頭部で支えています。手は背中を支えます。
これがなかなかうまく出来ないのであります。理由はいくつかありますが、力づくで無理やりポーズを作るのが一番良くないでしょう。首に力が入るからです。仰向きから足を上げていくところからすでにこのポーズは始まりますのでていねいにお尻を上げなくてはなりません。こうすると首に力が入らないのです。

楽にお尻を上げる方法はしっかりと前屈のポーズやねじりのポーズで背中を緩めておかねばなりません。緩んだ背中は楽に足を頭のほうへ導いてくれるでしょう。足が頭の方、床のほうへ近づくポーズはスキのポーズといいます。

しっかりとアゴで胸骨を押さえるとうなじがてこの原理で伸びてきれいなスキのポーズが作れます。尻の坐骨を天井に引き上げることも忘れてはならないことです。
いよいよ肩立ちのポーズに入るわけですが、片方づつ足を上に上げたほうが腰に負担がかからないでしょう。両方の足を天井に向け、殿筋を締めるときれいなポーズが出来上がるわけです。

肩立ちのポーズがいつも腰が伸びない人がいます。それは首に力が入っているからでしょう。しかしポーズの途中で緩めることは出来ないわけで、そんな人には補助を使います。スキのポーズを作っているときの腿の高さと同じくらいのイスがあればそれを使っても可能です。

ここでは二人ペアを組んで一人がネコのポーズのように四つんばいになります。そして腿を背中に当てるのです。高さと位置は気持ちのいいところを指示します。そして脱力します。このときリラックスでき気持ちよければしっかり首は緩んでいます。30秒くらい(力が抜けるまで時間が必要です。)そのままにして片足づつ上に上げて完成ポーズを作ります。ネコさんは当然退場します。どうでしょうか。まっすぐなきれいなポーズは作れているでしょうか。(当然ですが苦痛を感じた人はまっすぐにはなりません。)

元に戻し方ですが、スキのポーズから背中を床につけるまでのプロセスは大切です。一気にドスンと下ろさないでのどを強く締めながら、うなじを伸ばしながら背中を軟着陸させます。そうすればアゴが上がること無しに、首に負担がかからずに元に戻すことが出来ます。しっかりとくつろぎのポーズを作ります。くつろぎのポーズは肩立ちのポーズの効果の効き目をより倍増するためです。背骨の存在を意識できるくらい背骨が緩むはずです。しっかりと味わってください。長過ぎるのも良くありません。意識が分散するからです。
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2007-11-26 >アサナの指導方法
当学院でアサナの作り方の研究会を行いました。実際やってみていろいろな意見が出ました。この研究会はいかに受講生に指導するかということをテーマにしました。間違ったやり方も決して無駄でありません。そこからできない理由を考えるのです。人はみなさん、それぞれ思考もイメージも動きも異なります。違った中から共通のイメージや動きを探し出しますとそこには変わらないもの、原理が生まれてきます。それは重さを利用することと気持ち良さを探すことです。人の能力はその原理から無限の可能性を作り出します。動きの発展系もたくさん可能になってきます。ヨガのアサナは感覚の原理を足がかりにより高い脳の可能性を導く手段だと思います。その可能性は社会に還元されていくのです。

今回は某セミナーで紹介されたマンダラ思考という手法を使ってまとめてみました。この手法は混沌としている頭の中でより本質を捜し求める方法だそうです。
曼荼羅は仏教絵画のひとつです。(金剛界曼荼羅)

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2007-11-12 高齢者の下半身を緩める
歩き上手になる方法
歳は足からというように体の機能が衰えてくると足が弱くなってきます。歩くのがおっくうになるとか、歩幅が狭くなる、なんでもないところでつまずく、いつも下を向いて歩かないと不安というようになります。下半身が弱くなるというのは筋力不足もあります。逆に緊張で硬くなっていることもあります。不足や弱いと判れば強化したり補ったりするのが普通ですが、硬くなっているときは緩めなければなりません。まったく逆の訓練ということになります。前者を行うとますます筋肉は硬くなってしまいます。歩けば良いといって歩けば歩くほど弱ることもあります。硬くなった筋肉は緩めなければなりません。不快や痛みを解消し楽に動くのが本来の体です。今回は緩めるヨガ体操を紹介します。

1.脚を緩める体操です。いす(前の端に座ります)でも床にでも座って片方づつ、かかとを床につけて膝を「ぶらぶら」ゆすります。腿もふくらはぎも「たぷたぷ」揺れているはずです。この感触で股関節や膝、足首の関節を30秒?1分くらいゆするのです。次に膝を上に5センチくらい上げて「すとんすとん」と落とすことを10秒くらい、これも「たぷたぷ」と行います。柔らかい粘土を床に「どんどん」と落としたりするのと同じような伸びていく感じです。きっとゆすらない方と比べたら脚が長くなっているはずです。そして軽くて楽なった感じがありませんか。筋肉が緩むと血行が良くなってそこの部分が軽やかになります。横に脚を少し開いて同じことをしたらもっといいでしょう。当然反対の脚も行います。
 要点:かかとを床につけて、腿やふくらはぎを「たぷたぷ」と左右にゆする。膝を上下にゆする。脚を開いて同じようにゆする。脚長さの違いをチェックし脚の感じを味わう。反対の脚もする。
 
2.姿勢は1.と同じです。片方の腿を持って軽く上げ、膝を伸ばしたり曲げたりを10回?30回行います。無理しないでください。これは腿の筋肉の強化です。膝が楽に動く練習です。終わったあと脚の長さをチェックします。短くなりましたね。筋肉を強化したので縮まりました。これでいいのです。反対も行います。
3.姿勢は1.と同じです。体を前に倒しながら片方の足先を前後にゆっくり動かします。膝が曲がっていてもかまいません。手は腿の上に置きます。アキレス腱も膝裏も伸びてきます。腿の後ろの筋肉も伸びて歩く動作が楽になります。背筋を伸ばして行うと効果的です。少しづつやっていると前のほうへ倒しやすくなります。これは前屈を楽にする方法です。また脚の長さをチェックしましょう。長くなったでしょうか。しっかり緩めました。反対も行います。
4.次は尻歩きです。1.と同じでもいいです。床に座ったほうが効果的ですが動きはきつくなります。 脚を交互に前に伸ばして歩きます。腰が楽になります。いすに座って行うときは膝が交互に動く程度いいです。つらいほどやらないことです。仙腸関節を緩めて腰を楽にする動きです。楽しむ範囲で行ってください。
最後に歩くときはかかとをしっかり床に付け、そして足の親指を使って蹴りだすように歩くことが大切です。いつまでもしっかり歩けると頭の体操にもなります。簡単な緩める体操を体の手入れとして行ってください。
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2007-09-15 プラティヤハラの解釈
ヨガには八支則といってさとりへ導く段階があります。それは道徳的訓練から体の訓練、そして呼吸訓練、感覚コントロール法、心のコントロール法であります。
ここではプラティヤハラの感覚コントロール法について大きなヒントを得ましたので紹介したいと思います。私の今までの理解は以下のとおりでした。すこし解釈が広がったように思います。
★---第五段 プラティヤハラ(制感自律訓練行法)
      ◎自分の意志で自分を生理的、心理的、生活的にコントロールする訓練。
五官(感覚器官)の影響に惑わされず自分が自分の主人公になり、自分が自分に命令し、
自分が自分を律する訓練です。---★

人間を含めた動物の感覚は生きるためにいろいろな欲をもっています。
目で見てほしいと思う欲とか、耳で聞いてもっとよく聞きたい、鼻で臭ってこりゃたまらん逃げたい、とかうーん、いい気持ちもっと匂っていたい、こりゃ美味いもんだ、などなどです。 この欲をコントロールすることがプラティヤハラと言っています。異常な欲は四苦八苦につながりがちです。生老病死、・・求不得苦などがそうです。
アレしたい、コウなりたいという欲は普段、私たちはあまり気がついていません。欲しいから手に入れる、あきらめるといったパターンです。 プラティヤハラはこういった欲を見直して「苦」を少しでも減らしていこうという訓練法です。

まず感覚から出てきた欲には肉体的な欲と社会的な欲があります。「肉体的な欲」は食欲、睡眠欲、性欲、呼吸欲、排泄力、生存欲があります。「精神的な欲」はたくさんあります、名誉欲、金銭欲、知識欲、仲間になりたい欲、かまってもらいたい欲、一人になりたい欲、、、これはまだまだありそうです。

この欲はほとんど無意識に日常では起こってかなえたりかなえられなかったりしています。こういった欲を一つ一つ意識していくことです。そして生存に必要なものは解決しなければなりません。おしっこしたいとか腹が減った、危険から逃れるなどです。しかしそれ以外の欲も先ほど書いたとおり、たくさんあるはずです。

その欲がより発展的に自他をいい方向へ導いているのか、それとも自他をただ苦しめるだけの欲なのかを見極めなければならないのです。しかしそれはやってみなけばわからないことです。ここではその善悪、良非を説いているのでなく、感覚から上ってくる欲を自覚しなさい、コントロールしなさいという訓練です。この訓練を通してとらわれない訓練による知恵の発現を期待しているのです。ちなみにこの知恵を把握する方法は「般若心経」に書いてあります。ここに書いてあることはとても無理だけどプラティヤハラをとおして日常の幼稚な欲から、少しは逃れそうです。
続きがありますが今回はここでおしまいです。
以下の本にもっと詳しく書いてあります。参考にしてください。

「始めよう。瞑想」  宝彩有菜著 
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