命は大きな流れの中でつながっている

元気を出す方法として気の合う人と一緒にいるとか、大自然の中で生活するとか。。
いろいろな気をもらうと元気になるみたいです。ところが元気でないときは一人でいたくなるし、一人であれこれ考えてしまいます。なんか余計に疲れてしまいそうです。
勇気を出しそして元気を出して気をたくさん吸収すべきです。出せば入るというのが経済や自然の法則なのですから。 元気を出す一つの方法として、誰に教わったのかわかりませんが、よく使う方法があります。

それは人ごみの中にいて、いろいろな人とお話しを試みます。知らない人とお話をするのですが、当然声は出しません。目配せもしません。道路ですれ違う人、電車の中で前に座っている人に知らん顔をしてですが心の中で挨拶をします。沈黙で話をした人とつながっているような気がします。
「こんにちは」とか「お元気そうですね」「服がよく似合ってますよ」とかですが、これをすると元気になります。本当に不思議です。(文句、非難的なことを想像するのはよくないです。逆に疲れます。)

平井謙次先生の「もとはこちら会」というのがあります。
詳しくはyahooなどで検索してください。私のヨガの大先輩です。人生哲学として役に立ちます。
平井先生が病苦から悟りを開いて、「この病気のままでいいのだ」というくだりがあります。仏教の輪廻転生の考え方です。生まれてそして死んでいくはかない命と永遠の生命が存在しているという考え方です。現世でのいま、ここでという状況・現象が過去からいただいてきた当たり前のことで、(病気も苦しみも幸せも)過去・現在・未来とつながっている。だから生きていくことはすばらしいことでありがたいことでまた、いたらぬ自分を訂正していかなければならない。「もと」という大きな流れが「こちら」という今を作りそして今を精進させていくことで次の世(せ)が存在している。。。といったことですが拙い解釈で申し訳ありません。
(もとこちら そのまま ぜんぶ あたりまえ ただ ありがたく すみません)

この二つの話の共通点は命は大きな流れの中でつながっているところです。
すなわち、私たち個人個人は独立しているように思っていても、目に見えない世界では(不可思議な世界)では大きな命の流れがあって、そのときどきに草や木や虫や動物となって現世に現れ、そして又もどっていくのです。それぞれの命は川の水の水しぶきのような存在なのでしょうか。仏教の方でもいのちの存在として「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」といっています。
人込みの中ですれ違う人々は自分のいのちの分流でもあり、共通の存在だったのです。
知らない人に意識を配るだけでその人からエネルギーをもらい、また大自然の海や山の生命からエネルギーを分けいただいているのだと思うと勇気りんりん瑠璃の色、元気になってしまいます。
ヨガは実践することに意味があるので耳学問にならないようにやってみて下さい。生かされていることに感謝したいものです。
(2002-03-20)

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