「機、度、間」で繰り返し練習する


ちょうどいいときに、ちょうどいい量だけ、ちょうどいいことを起したとき、そのとき最高のバランスがとれるという意味で「機度間(きどま)」の法則というのがある。

この内容を書くこともちょうどいいタイミングだった気がする。数週間前から一つのポ−ズを繰り返し行なってきた。なにも難しいポ−ズでなく、前屈のポ−ズでも魚のポ−ズでも何でもいいのだが、一回目軽く行い、二回目、三回目でがっちり行なうという方法をとってきた。あまり深く考えずにそうしたら楽にポ−ズを作れるのだ。

そんなおり、当学院のHPを見たという人から質問が来た。「アクロバティックに片手でア−チのポ−ズ」というレッスン一覧の項を読んで、どうやったらそんなことができるのか、3点で支持するので、はじめから重心を移しておくのかという質問である。

私はそんな質問は大好きである。すぐに返事を書いた。書いていて本当に書いた通りできるのか心配だったので、やってみた。このパタ−ンはここ一年ぐらいやっていない。ア−チのポ−ズ(手と足で体を支えるブリッジのようなポ−ズ)も受講生の高齢化が進む中でまったくご披露することがない代物である。

一気に作らないで、チャレンジを10回ぐらいやってからまずこのポ−ズが満足に出来るようにした。そして次は片手のチャレンジである。2、3回、失敗したがまず利き腕の左手を支点したほうがまず上がった。さて次は反対の手が問題である。しっかりとイメ−ジを腕、首、脚などに入力する。そしてやってみると上がったのである。 質問者のメ−ルに書いた通りであったことに満足して送信ボタンをクリック。

ところで私の利き腕の肩はお年ごろなのか、時々、いやいつも重くてなんとなく違和感、時には痛みがある。いつも爆弾を抱えているみたいで不愉快である。しかし今回のように肩だけではないが腰も首も痛いことはしない。機度間で行なって、体のつながりを探すと複雑な動きが出きるものだと確信した。

それではそのメ−ルの内容である。
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片手でアーチの件ですが。。 普段はこんなことしていません。でも体の機能を勉強するとき、体っておもしろいなぁの一環でこんなことをHPに書きました。

私たちの体の動きは神経回路で成り立っています。始めはぎこちないですが、慣れてくると、ほとんど無意識にできるようになります。そしてそこから発展系(片手)が思いついてきます。

慣れの動きの神経回路のすばらしさは自転車に乗ることでもわかります。楽に乗れるようになったとき片手、両手放しが出来るようになります。このとき重心がどうのこうの考えないでしょう。ただ出来るような気がするということでやっているに過ぎません。ア−チのポ−ズの時も同じで「出来るような気がする」が大事なのです。

アーチのポーズをやるとき、現実に授業の時には、10回ぐらいは見てもらいます。このことはHPにも書いたと思います。この10回は自分のための10回でより楽に上がるのを見てもらいたいためです。10回ぐらい上げると手を放してみようかという気になってくるのは不思議なことです。イメージの中ではもうすでに手も足も同じところで3点で立つという神経回路を作るみたいです。

ところが、作る気になっていてもそれは神経系であって出力系である筋肉はまだ体勢がとれていないので失敗します。必ず。
失敗したほうがいいみたいです。それで神経系はまたこの失敗を修正して力の入れ具合を変えるのでしょう。二回目の片手では少しましに上がります。これを繰り返していくといつの間にか楽に片手でアーチのポーズが出来上がります。

大事なところは、この失敗を感じ取る能力です。そして次につなげる能力は誰でも持っている能力です。これを磨けばいろいろなところですばらしい人生を描くことが出来るのですが、。

神経回路の応用はスポーツのイメージトレーニングです。動きの中で重要なのは神経です。ところが未調整の筋肉系は動きの邪魔ばかりします。だから筋肉が邪魔しないように「リラックスしろ。いつもは弛緩して必要なときのみ(収縮)緊張しろ」と言うのでしょうか。
筋肉を完全に神経系の従属下におくことですばらしい記録がでるのです。

それではヨガの時間にはこの神経系を上手に取り扱ってください。お問いあわせありがとうございました。
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ここで一番に言いたいのは失敗するということだ。人間の脳は本当に賢いと思う。失敗したら、次にどうしたらいいか無意識に探すみたいだ。そして神経のつながりを次から次へと作り次回へのチャレンジに備える。繰り返していくことの大切さがこのことである。もっと気持ち良く、もっと楽にを探し求めること、好奇心さえ持っていればもっともっと気持ちいい動きが取れていく。機度間で行なっているからバランスがとれているのだ。

これが失敗もせず、出来てしまうと脳のチャレンジは止まってしまう。もっといい方法があるのにもっと伸びていくのにそこそこで止まってしまう。悲しいかな、秀才。
凡才は必ず失敗する。そしてまたチャレンジする。いつのまに秀才を越えてしまう。
がんばれ。凡才、鈍才。

野口三千三の「才能とはいま、ここで、このことに対して新鮮な興味を持つことのできる能力のことである。」を思い出した。
(2002-09-18)

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